ネイティブだって完璧じゃない|海外生活で言葉に自信をなくしたあなたへ
- Locus of Life

- 5月8日
- 読了時間: 11分

海外生活で言葉に自信をなくした経験は、きっとあなただけではないはずです。
私は今イギリスに住んでいますが、日々「英語」と向き合う中で、もどかしさを感じることが多々あります。この記事では私の経験から「英語」について書いていますが、これはドイツ語でも、フランス語でも、中国語でも、その国の言葉で懸命に暮らしている方なら、きっと同じように感じていただける部分があるのではないかと思っています。
相手の言っていることが聞き取れなかった時。
電話でうまく説明できなかった時。
自分の話し方が幼く聞こえるような気がした時。
言いたいことがあるのに、言葉が出てこなかった時。
そんな時、つい思ってしまうことがあります。
「もっとちゃんと話せなければ」
「ネイティブのように自然に話せなければ」
「こんな英語で恥ずかしい」
特に日本人は、学校教育の中で文法や正しさを大切に学んできた人が多いので、英語を話す時にも「間違えてはいけない」と感じやすいのかもしれません。
でも、イギリスで20年以上暮らしてきて、私が少しずつ気づいたことがあります。
それは、ネイティブスピーカーだからといって、英語がいつも完璧なわけではない、ということです。
海外生活で言葉に自信をなくしたとき、心に起きること
海外生活では、言葉の問題が、思っている以上に心に影響することがあります。
スーパーのレジで「もう一度言ってください」と言えなかった日。
学校の保護者会で、ほかのお母さんたちの会話に入れなかった日。
電話を切った後に、「あれで伝わったかな」と何度も思い返した日。
そんな小さな経験が積み重なると、いつの間にか、
「私はこの国でちゃんとやっていけていないのではないか」
「私は人より劣っているのではないか」
という気持ちにつながってしまうこともあります。
けれど、母国語ではない言葉で生活することは、それだけで大きなエネルギーを使うことです。
言葉を探しながら話す。
相手の表情を読みながら聞く。
文化の違いにも気を配る。
分からなくても、その場を何とか乗り越える。
そんな努力を毎日続けているのですから、疲れるのは自然なことです。
それは、あなたが今日まで一生懸命に生きてきた証なのだと思います。
第二言語では「本来の自分」が伝わらないように感じることがある
海外で言葉に自信をなくす時、つらいのは「英語を間違えた」ということだけではないのかもしれません。
日本語なら、もっと自然に冗談が言えた。
日本語なら、もっと相手を気遣う言葉を選べた。
日本語なら、自分の考えをもう少し深く伝えられた。
それなのに英語になると、言葉が短くなったり、表現が単純になったりして、本来の自分よりも幼く見えているような気がすることがあります。
「私は本当はこういう人じゃないのに」
そんな悔しさや、もどかしさを感じることもあると思います。
海外生活での英語の不安は、単なる語学の問題だけではありません。
時には、自分らしさや自己肯定感にも深く関わってくるものです。
だからこそ、「うまく話せなかった」という出来事だけで、自分自身の価値まで小さく見てしまわないことが大切なのだと思います。
英語が母国語でも、スペルが得意とは限らない
私の元夫は、どちらかというと理数系が得意な人でした。
一方で、英語、つまり彼にとっての国語は、あまり得意ではありませんでした。
今でこそ、スペルチェッカーが間違った単語を簡単に直してくれます。けれど、私がイギリスに来た20年以上前は、今ほど便利ではありませんでした。
仕事でも日常でも、まだ手紙や手書きのメモを使う機会が多く、単語のスペルを確認する場面がよくありました。
そんな時、元夫はよく私に聞いてきました。
「この単語のスペル、どうだったっけ?」
英語が母国語のイギリス人が、日本人の私に英単語のスペルを聞いている。
私はそのたびに、くすっと笑ってしまいました。
もちろん、彼をばかにしていたわけではありません。
ただ、「ネイティブでも、英語のすべてが得意なわけではないんだ」と感じて、どこか安心したのです。
それまでの私は、英語を母国語として話す人たちは、英語に関しては何でも自然に分かっているのだと思っていました。
でも、実際にはそうではありませんでした。
ネイティブでも、文法を説明できるとは限らない
カウンセリングを学んでいた頃、エッセイを書く機会が多くありました。
その時のチューターから、Functional Skills English のコースを受けるように勧められました。英語の読み書きや文法を学ぶ、基礎的な英語のコースです。
そのクラスにはイギリス人の生徒が多く、他の国から来ていたのは私一人でした。
私は日本で中学生の頃から英語を勉強していたので、文法だけは比較的なじみがありました。授業で習う内容も、「これは前に勉強したことがある」と感じるものが多かったのです。
ある時、アポストロフィー’sについての授業がありました。
たとえば、
- 所有を表す ’s
- “he is” の短縮形としての ’s
- “he has” の短縮形としての ’s
先生は一つずつ丁寧に説明していました。
私は「これは知っているから大丈夫」と思っていました。
ところが、周りのイギリス人の生徒たちは、なかなか理解できませんでした。結局その日の授業は、3時間ほとんどアポストロフィー’sの説明だけで終わってしまいました。
それでも、まだよく分かっていない人たちが何人もいました。
その時、私はとても興味深く感じました。
私たち日本人も、日本語を自然に話しています。
でも、外国の方から、
「どうしてここでは『は』ではなく『が』を使うのですか」
「この表現は文法的にどう説明しますか」
と聞かれたら、すぐには答えられないことがあります。
母国語として自然に使えることと、それを文法として説明できることは、まったく別の力なのだと思います。
英語のネイティブスピーカーも同じです。
英語を話せるからといって、英語の文法をすべて理解しているわけではありません。
そう思うと、私たちが文法に少し自信がないからといって、必要以上に引け目を感じなくてもいいのだと思います。
ネイティブでも、手書きの字がきれいとは限らない
イギリスでよく言われることの一つに、医師や先生、弁護士など、高い専門性を必要とする職業の人ほど字が読みにくい、という話があります。
もちろん、すべての人に当てはまるわけではありません。
ただ、日本人が「字が汚い」と言う時のレベルとは少し違い、本当に何と書いてあるのか分からないこともあります。
私の息子も、英語を書く時の字があまりきれいではありませんでした。
私はよく、
「字は、誰かが読めなければ書く意味がないんだよ」
と言っていました。
すると息子は、
「僕が大人になる頃には、手書きで何かを書くことなんてなくなって、全部コンピューターになるよ」
と反論していました。
当時は「そんなことを言って」と思っていましたが、今考えると、彼の言っていたことも少し当たっていたのかもしれません。
実際、今では日常のやり取りも仕事の連絡も、手書きよりもスマートフォンやパソコンを使うことが多くなりました。
もちろん、相手に読んでもらうために丁寧に書こうとする気持ちは大切です。
けれど、手書きの字についても、「きれいに書かなければ」「完璧に書かなければ」と、必要以上に気にしすぎなくてもいいのかもしれません。
第二言語で英語を書いている私たちが、少し字が崩れたり、完璧に書けなかったりすることがあっても、それだけで自分を責めなくていいのだと思います。
言葉も、文字も、誰かに伝えるためのものです。
完璧に整っていることよりも、伝えようとする気持ちの方が、ずっと大切なのだと思います。
英語は、完璧でなくても伝わる
こうした経験を重ねるうちに、私は少しずつ英語に対する考え方が変わっていきました。
以前の私は、英語を話す時、いつもどこかで「正しく話さなければ」と思っていました。
間違えないように。
変に思われないように。
恥ずかしくないように。
でも、その意識が強すぎると、言葉はかえって出てこなくなります。
相手に伝えることよりも、自分の間違いを見張ることに心が向いてしまうからです。
もちろん、仕事や勉強、正式な書類など、正確な英語が必要な場面はあります。
そのような時には、確認したり、誰かに見てもらったりすることも大切です。
でも、日常生活のすべてで完璧な英語を話す必要はありません。
少し文法を間違えたからといって、相手は私たちが思うほど気にしていないことも多いのです。
私たちも、外国の方が日本語を話している時に、少し間違えたからといって不快に思うでしょうか。
多くの場合は、
「日本語を話してくれているんだ」
「一生懸命伝えようとしてくれているんだ」
と感じるのではないでしょうか。
英語も、それと同じなのだと思います。
言葉は、試験のためだけにあるのではありません。
人とつながり、自分の気持ちを届けるためのものです。
完璧な文章でなくても、そこに「伝えたい」という気持ちがあれば、ちゃんと伝わります。
ネイティブのようになれなくても、大丈夫
私たちは小さい頃から日本語を話してきました。
口の動きも、音の出し方も、言葉のリズムも、日本語が体にしみ込んでいます。
だから、英語を話す時にアクセントが出たり、リズムが違ったりするのは、ある意味とても自然なことです。
ネイティブと同じように話せることだけが、英語のゴールではないのだと思います。
それは恥ずかしいことではありません。
その人がどこから来て、どんな言葉で育ってきたのかを表すものでもあります。
とはいえ、私自身も最初からそう思えていたわけではありません。
長い間、どこかで「もっとネイティブのように話さなければ」と思っていました。
きれいな発音で、自然な表現で、相手に違和感を持たれないように話さなければ、と。
でも、イギリスで暮らす中で、私はある時から、その思いをあきらめるようになりました。
それは決して、努力を投げ出したということではありません。「ネイティブにならなければならない」という執着を手放して、今の自分をそのまま見つめ、受け入れるという感覚に近いものでした。
頑張ってもどうにもならないことに、必要以上に力を使わなくていい。そう自分を許せたことで、ようやく思えるようになったのです。
そして不思議なことに、「完璧さ」をあきらめたことで、前よりも少し楽に英語を話せるようになりました。
大切なのは、完璧に話すことだけではなく、自分の言葉で伝えようとすることです。
たとえ少し時間がかかっても。
たとえ文法が少し違っても。
たとえ発音にアクセントがあっても。
あなたの言葉には、ちゃんと意味があります。
まとめ:言葉の不安で、自分を小さくしすぎないで
ネイティブスピーカーだからといって、英語がすべて完璧なわけではありません。
スペルが苦手な人もいます。
文法を説明するのが苦手な人もいます。
手書きの字がとても読みにくい人もいます。
それでも皆、それぞれの形で言葉を使いながら生活しています。
海外で暮らしていると、海外生活で言葉に自信をなくした経験を思い出し、つい自分のできない部分ばかりに目が向いてしまいます。。
でも、母国語ではない言葉で生活し、人と関わり、毎日を過ごしていること自体が、本当に大きなことです。
英語が完璧ではないことは、あなたの価値とは関係ありません。
少し間違えても大丈夫です。
聞き返しても大丈夫です。
ゆっくり話しても大丈夫です。
本来の自分を英語で十分に表現できない日があっても、それはあなたが空っぽだからではありません。
ただ、母国語ではない言葉の中で、一生懸命に自分を届けようとしている途中なのだと思います。
あなたは、今日まで十分頑張ってきました。
どうか、そのことを忘れないでください。
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海外生活の中で、言葉の不安や孤独感を一人で抱え続けていると、心は少しずつ疲れていきます。
「こんなことで相談していいのかな」
「うまく話せる自信がない」
「まだ自分の気持ちが整理できていない」
そんなふうに感じている方もいるかもしれません。
でも、カウンセリングに来る前に、悩みをきれいに整理しておく必要はありません。深刻な問題でなくても大丈夫です。
海外生活の中で一人で頑張り続けてきた人ほど、「これくらい自分で何とかしなければ」と抱え込みやすいものです。
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「少しだけ誰かに話してみようかな」
そう思えた時に、安心して来ていただければ大丈夫です。
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