海外生活の中で感じる「どこにも居場所がない感覚」|海外在住日本人が抱えやすい、静かな孤独
- Locus of Life

- 5月22日
- 読了時間: 7分
更新日:5月31日

海外で暮らしていると、
ふとした瞬間に、
「自分はどこに属しているのだろう」
と感じることがあります。
現地の生活にも少しずつ慣れてきた。
言葉も以前より話せるようになった。
周りから見れば、ちゃんと生活できているように見える。
でも、心のどこかがずっと落ち着かない。
輪の中には入っている。
会話もしている。
笑ってもいる。
それなのに、どこか「ここには自分の居場所がない」と感じてしまう。
そんな感覚を無意識に抱えながら、私は長い間このイギリスで過ごしてきました。
海外生活の中で感じる「どこか外側にいる感覚」
海外生活では、「自分だけなぜか少し違う」と感じることがあります。
会話には参加している。
普通にやり取りもしている。
でも、自分だけが少し輪の外側にいるように感じることがある。
それは、誰かに嫌なことを言われたから、というわけではありません。
むしろ周りの人たちは親切で、優しいことも多い。
それでも、文化の違い、育ってきた環境の違い、言葉のニュアンスの違いが、
小さなズレとして積み重なっていきます。
こちらでは自然なことが、日本では失礼に感じられることもある。
逆に、日本で自然だった感覚が、海外では重たく感じられることもある。
その小さな違いが積み重なることで、
「自分はここにちゃんと馴染めているのだろうか」と感じてしまいます。
特に、人との距離感や空気感は、日本で自然に身についていたものが海外では通じません。
「今の反応でよかったのかな」
「空気を読めていなかったかもしれない」
「変に思われていないかな」
そんなふうに、自分では気づかないうちにいつも緊張していました。
でも本当に苦しかったのは、「文化の違い」そのものよりも、
“自分がどこにも完全には馴染めていない感覚”でした。
人と一緒にいても、どこか一人のように感じる。
その感覚は、日本に帰ったときにも消えませんでした。
日本に帰っても、「完全には戻れない感覚」があった
日本に帰れば、もっと安心できると思っていました。
でも実際に帰ると、どこか落ち着かない。
久しぶりに会う友人たち。
聞き慣れた日本語。
コンビニや電車の空気感。
懐かしいはずなのに、自分だけ少し浮いているような感覚がありました。
たとえば日本の友人たちは、会う時に小さなお土産や贈り物を持ってきてくれました。
その気遣いは、とても温かいものでした。
でも、イギリス生活に慣れていた私は、
何も持たずに友人に会いに行ってしまいました。
自分の中で日本の感覚が少しずつ薄れていることに気づき、
とても恥ずかしくなりました。
そして「イギリスだけでなく、日本にももう馴染めないのかもしれない」
と感じたのです。
長く海外で暮らしているうちに、
日本では自然だった感覚が、自分の中で少しずつ薄れていったのだと思います。
またこの経験とは逆に、日本の丁寧なサービスに対しても、
「そこまでしなくてもいいのに」と感じてしまう時もありました。
こちらで暮らしているときは、
日本の細やかな気遣いや丁寧さを恋しく感じることがあるのに、
日本に帰ると、今度はその丁寧さが少し過剰に感じられてしまう。
そして気づけば、イギリスにいるときと同じように、
日本に対してもどこか批判的な目を向けている自分がいました。
そのたびに、
「私はどこにいても不満ばかり感じてしまうのだろうか」
と、悲しくなったこともあります。
でも今振り返ると、それは“わがまま”だったわけではなく、
二つの文化の間で、自分の感覚が揺れていたからなのだと思います。
気づかないうちに、私の中の感覚も少しずつ変わっていたのです。
日本にいる人たちから見ると、私は「海外にいる人」になっている。
一方で、海外ではいつまでも「外国人」の感覚が残る。
どちらにも完全には属しきれない。
その感覚は、とても静かで、説明しづらい孤独でした。
海外生活で「居場所」がわからなくなっていく感覚
時間が流れる中で、周りの人たちの生活も変わっていきます。
自分も変わっていく。
昔の友人たちは日本で、それぞれの人生を歩いている。
家族ができている人もいる。
住む場所も変わっている。
そして、自分自身も、もう「海外へ行く前の自分」ではなくなっている。
だから気づけば私は、「元いた場所」に戻るというより、
「新しい自分の居場所」を探していたのだと思います。
でも当時は、その変化をどこか怖く感じていました。
どこにも完全には馴染めない。
どこにも100%安心できる場所がない。
その感覚は、思っている以上に心を疲れさせます。
「ここにいていい」と感じられない状態は、人をずっと緊張させるからです。
だからこそ、人によっては「感じのいい人」でいようと頑張りすぎたり、
人に合わせすぎたりして疲れてしまいます。
居場所を失うことは、私たちにとってとても不安なことだからです。
本当に必要だったのは、「完璧に馴染むこと」ではなかった
私は長い間、「ちゃんと馴染まなければ」と思いながら生きていました。
海外でも
日本でも
どこにいても、「ちゃんと適応できる人」でいようとしていたのです。
周りに自然に溶け込める人でいたい
変に思われたくない
面倒な人だと思われたくない
誰かを困らせたくない
だから、相手に合わせる
空気を読む
自分の感覚よりも、その場に馴染めるかどうかを優先する
そうやって過ごしているうちに、
私は少しずつ、「本当は自分がどう感じているのか」がわからなくなっていきました。
本当は疲れているのに、「大丈夫」と言う
本当は寂しいのに、「平気」と思おうとする
違和感があっても、「自分が気にしすぎなのかもしれない」と飲み込む
いつの間にか、“自分を後回しにすること”が当たり前になっていたのです。
でも今振り返ると、本当に必要だったのは、「完璧に馴染むこと」ではありませんでした。
大切だったのは、
「私はここにいていい」
そう感じられる安心感でした。
少し感覚が違ってもいい
うまく説明できない部分があってもいい
全部を合わせなくても、人とつながることはできる。
どちらか一方の文化に、完全に合わせきれなくてもいい。
そう思えるようになってから、
私は少しずつ、「居場所」というものの見方が変わっていきました。
居場所とは、“どこかに完璧に馴染めること”ではなく、
「安心して、自分でいられること」
なのだと、私は今感じています。
自分を消さなくてもいい
頑張って合わせ続けなくてもいい
少し不器用でも
少し違っていても
安心して呼吸ができる場所があること
そして、「ここにいていい」と感じられること。
私にとって本当に必要だったのは、どこかに完全に属することではなく、
「ここにいていい」と感じられる安心感だったのだと思います。
そう思えるようになってから、少しずつ肩の力が抜けていきました。
小さな「安心できる場所」を持つこと
海外生活の中で、「自分にとっての居場所とは何だろう」と考える方も多いと思います。
居場所というのは、必ずしも「国」だけではないのかもしれません。
安心して話せる人
気を張らずにいられる空間
自分の感覚を否定されない時間
そういう小さな安心感の積み重ねが、少しずつ「ここにいていい」という感覚につながっていくのだと思います。
海外生活では、知らないうちにずっと頑張り続けてしまいます。
周りからは問題なく生活しているように見えても、心の中ではずっと「どこにいれば安心できるのだろう」と探し続けていることもある。
だからこそ、ときどき立ち止まって、
「私は今、安心できているかな」
と、自分に問いかけてみることも大切なのかもしれません。
もし今、
「どこにいても、どこか落ち着かない」
「日本に帰っても、完全には戻れない気がする」
そんな感覚を抱えている方がいたら、あなただけではありません。
二つの文化の間で生きることは、それだけで大きなエネルギーを使います。
あなたはここまで、異文化の中でよく頑張って生きてきました。
この記事が、あなたが安心してくつろげる場所に少しでもなれば嬉しく思います。
Locus of Lifeでは、人との距離感や安心感、海外生活の中で揺れる心を大切にしています。
もし今、言葉にしづらい気持ちや、どこか落ち着かない感覚がある方は、お気軽にお問い合わせください。



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