私が海外で大切にしたい日本人の価値観|立つ鳥跡を濁さずという生き方
- Locus of Life

- 1 日前
- 読了時間: 10分

海外で暮らすようになってから、私は日本人の価値観について、
以前より深く考えるようになりました。
日本には「立つ鳥跡を濁さず」という言葉があります。
この言葉に込められた思いやりや感謝の心は、今の私の生き方を
静かに支えてくれているように感じます。
今回、日本代表は惜しくも敗退してしまいましたが、サッカーワールドカップの
時期になると、試合そのものとは別に、毎回のように話題になることがあります。
日本人サポーターが、試合後にスタジアムのゴミを拾って帰ること。
そして、日本代表の選手や関係者が、使ったロッカールームをきれいに整え、
お礼の言葉や折り鶴を残して去ること。
その姿に対して、海外では「日本人はすごい」と評価されることがあります。
もちろん、その言葉を聞くと嬉しい気持ちになります。
けれど私は、そのたびに少し違うことも感じます。
たぶん多くの日本人がそうであるように、私にとってそれは特別に「すごいこと」
というよりも、小さい頃から自然と身につけてきた、ごく当たり前の感覚に近いのです。
自分が出したゴミは、自分で片付けること
使わせてもらった場所を、できるだけきれいにして帰ること
次に使う人のことを少し考えること
感謝の気持ちを、行動で表すこと
それは誰かに褒められるためにすることではなく、日々の暮らしの中で
自然と教えられてきたことでした。
日本には「立つ鳥跡を濁さず」という言葉があります。
去るときには、その場所や人への感謝を忘れず、できるだけ気持ちよく後にする。
私はこの言葉の意味を、特別に教え込まれたというより、
日々の暮らしの中で自然と身につけてきたように思います。
海外で戸惑った価値観の違い
以前にもブログに書いたことがありますが、イギリスで暮らす中で、
ある出来事がありました。
元夫とファーストフードのお店で食事をしたときのことです。
食べ終わったあと、私は自分たちのゴミを片付けようとしました。
すると元夫に、こう言われました。
「片付ける人の仕事がなくなるから、そのままでいい。」
私は、その言葉に戸惑いました。
日本で育った私にとって、自分が食べたものを自分で片付けることは、ごく自然なことだったからです。
けれど、当時の私は、自分の中にまだ確かな軸がありませんでした。
「そういう考え方もあるのだろうか。」
「私の方が間違っているのだろうか。」
そんなふうに迷ったことを覚えています。
ワールドカップでも、似たような価値観の違いが表れていました。
日本人サポーターや選手たちの行動に対しても、「清掃をする人の仕事を奪っている」「偽善ではないか」といった否定的な意見があることを知りました。
ある日本人サポーターは、それは単に「きれいにする」という作業ではなく、選手やサポーター、そして自分たちを受け入れてくれたスタジアムや開催国への敬意の表れだと話していました。
私はその言葉を、ごく自然に理解できますし、深く共感します。
一方で、異なる文化、環境の中で育ってきた人にとっては、その感覚を理解したり、
共感したりすることは簡単ではないのだろうとも思います。
そして、それは日本人同士であっても同じです。
すべての人が、同じ価値観を持っているわけではありません。
このように海外で暮らしていると、自分にとって当たり前だったことが、当たり前ではなくなる場面が多々あります。
文化が違う。
考え方が違う。
人との距離感も、公共の場所での振る舞いも、感謝の表し方も違う。
その違いに触れるたびに、私は少しずつ、自分の中にあった価値観を疑うようになっていった時期がありました。
でも今は、これは「どちらが正しいか」という話ではなく、それぞれが大切にしている価値観の違いなのだと思っています。
だからこそ、自分が何を大切にしたいのかを知ることが、私にとって
とても大切なことなのです。
「立つ鳥跡を濁さず」という価値観
今なら、あのときの自分に言えると思います。
私は、自分が食べたものは自分で片付けたい。
それは、誰かの仕事を奪うためではありません。
その場所を使わせてもらったことへの感謝であり、
次に使う人への思いやりでもあるからです。
もしその分、片付けの手間が減るのなら、その方たちは別の大切な仕事に、
より時間を使うことができるかもしれません。
私は、それは誰かの役割を奪うことではなく、お互いの存在を尊重し、
敬意を行動で示すことなのだと思っています。
そしてそれは、私がカウンセラーとして最も大切にしている、
「人の尊厳を認め合う」という姿勢にも深くつながっています。
そして何より、そこには人を上下で見ないという感覚があります。
片付ける人がいるから、自分は散らかしたままでよい。
誰かが後でやってくれるから、自分は気にしなくてよい。
その考え方は、私の価値観には合いません。
もちろん、仕事として清掃をしてくださる方々への敬意はあります。
むしろ、その方々がいるからこそ、公共の場所は保たれています。
だからこそ、自分にできる範囲のことは自分でする。
それは、誰かの役割を否定することではなく、
その人の仕事を当たり前のように消費しない姿勢でもあると思うのです。
人はみな平等である。
どんな仕事をしていても、人としての価値に上下はない。
だから私は、自分の後始末は自分でするという考え方を
これからも大切にしたいと思っています。
日本人の価値観として大切にしたいこと
ここで私が書きたいのは、「日本人が素晴らしい」ということではありません。
日本にも、もちろん見直すべきところはあります。
また、イギリスで暮らすようになって学んだこともたくさんあります。
個人の自由を尊重すること。
自分の意見を持つこと。
必要なときには、はっきりと No と言うこと。
そうした価値観は、私にとって大切な学びになりました。
だから、どちらか一方が正しいという話ではありません。
ただ、海外で暮らし、さまざまな価値観に触れてきた今だからこそ、
私は日本で自然と受け取ってきた思いやりや感謝の心が、
今の自分を支えてくれていることに改めて気づきました。
それは、これからも私が大切にしていきたい価値観です。
私はなぜイギリスにいるのだろう
自分を見失っていた頃、私は何度も考えたことがあります。
「私はなぜ、このイギリスにいるのだろう。」
もちろん、幼い息子がいました。
息子を置いて日本へ帰ることなどできませんでした。
でも、それとは別に、私は自分がこの国に存在する意味のようなものを探していました。
私はここで何をしているのだろう。
私はこの場所で、何を大切にして生きていきたいのだろう。
そんな問いが、心の中にずっとありました。
そのときに思ったのです。
一人の力は小さいかもしれない。
社会を大きく変えることなど、できないかもしれない。
でも、人を敬うこと。
感謝の気持ちを持つこと。
自分さえ良ければいいという考えではなく、次の人のことを少し考えること。
そういう感覚を、私はこの個人主義の強いイギリスの中でも大切にして生きていきたい。
そして微力ながらも、私が日本で自然と受け取ってきたこの価値観を、
日々の暮らしの中で伝えていけたらと思うようになりました。
誰かを大きく変えたいわけではありません。
日本のやり方が正しいと言いたいわけでもありません。
ただ、私が人を敬い、感謝の気持ちを持って誰かと接することで、
その人が何かを感じてくれるかもしれない。
そして、その人がまた別の誰かに、同じような思いやりを渡していくかもしれない。
そんな小さな輪を、静かに広げていけたらと思ったのです。
「無理だよ」と言われても
この話を、こちらの友人にしたことがあります。
すると、その人は言いました。
「そんなこと、無理だよ。ほかの人たちもやろうとしていたけれど、みんな諦めたもの。」
その言葉も、わからなくはありません。
世の中は簡単には変わりません。
人の価値観も、すぐには変わりません。
一人で声を上げたところで、何も変わらないように感じることもあります。
でも私は、それでもいいのではないかと思っています。
大きな声で変えようとしなくてもいい。
誰かを正そうとしなくてもいい。
ただ、自分が大切にしたいことを自分の毎日の行動の中で静かに続けていく。
それだけで十分なのではないかと思うのです。
日本人サポーターのように世界中から注目されることもありません。
日本代表の選手たちのように、多くの人の目に触れる場所で行動するわけでもありません。
それでも、目の前の人を大切にすることはできます。
その積み重ねが、私自身の生き方になっていく。
私は今、そのことの方が大切なのだと感じています。
自分の価値観を持つということ
あの頃の私は、相手の言葉にすぐ揺れていました。
「私が間違っているのかもしれない。」
「こちらの文化に合わせなければいけないのかもしれない。」
そう思って、自分の感覚を何度も疑っていました。
でも今は少し違います。
すべてを日本式にする必要はありません。
イギリスで暮らす中で学んだことも、たくさんあります。
けれど、自分が大切にしてきた価値観まで手放す必要はないのだと思います。
カウンセリングの視点で見ると、自分の価値観が分かることは、
心の安定にもつながります。
何かを選ぶとき
誰かと関わるとき
理不尽さや冷たさを感じるとき。
自分の中に「私は何を大切にしているのか」という軸があると、
周囲の言葉や態度に振り回されにくくなります。
それは、頑固になることとは違います。
他者を否定することでもありません。
むしろ、自分の価値観を知っているからこそ、違う価値観を持つ人とも、
必要以上に自分を失わずに関わることができるのだと思います。
こうして生きようと決めてから、私は迷うことが少なくなりました。
誰かの言葉や、その場の空気に流されるのではなく、
「私はどうありたいのだろう。」
そう自分に問いかけることが増えたからです。
海外で暮らしたからこそ、私は日本で自然に受け取ってきたものの大切さに
改めて気づくことができました。
その一つが、「立つ鳥跡を濁さず」という言葉に込められた価値観です。
私にとって、それは場所をきれいにして去ることだけを意味する言葉ではありません。
人を敬い、感謝を忘れず、自分の行動が誰かに与える影響を少し想像すること。
そんな生き方そのものを表す言葉なのだと思っています。
そして今では、それが私自身を支えてくれる一つの軸になっています。
まずは私自身が、その価値観を日々の暮らしの中で静かに実践し続けていきたい。
誰かを責めるためではなく。
誰かを変えようとするためでもなく。
ただ、自分が信じる生き方を日々の中で続けていくために。
そして、その姿がどこかで誰かに届き、小さな思いやりの輪が少しずつ広がっていくなら、それは私にとって、この国で生きている意味の一つなのかもしれません。
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海外で暮らしていると、自分にとって大切だった価値観が揺らぐことがあります。
「自分の考えが間違っているのかな。」
「こちらに合わせなければいけないのかな。」
「私はどう生きたいのだろう。」
そんな問いを、一人で抱えてしまうこともあるかもしれません。
Locus of Life では、海外生活の中で感じる迷いや孤独感、自分らしさについて、
安心してお話しいただける時間を大切にしています。
まだ気持ちが整理できていなくても大丈夫です。
うまく話せる自信がなくても、深刻な悩みでなくても構いません。
少しだけ誰かに話してみようかなと思えたときに、
思い出していただけたら嬉しく思います。
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