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断るのが苦手で「悪いかな」と思ってしまうとき|相手の気持ちと自分の責任を分ける

9月4日
読了時間: 11分
秋のコスモスとススキを生けた花瓶が、日本の山と湖を望む窓辺に置かれた穏やかな風景


誰かに何かを頼まれたとき、本当は「できない」と思っているのに、断ることにためらいを感じることはありませんか。


「困っているのだから、これくらいしてあげた方がいいのかな」

「断ったら、冷たい人だと思われるかもしれない」

「相手をがっかりさせたくない」


そんなふうに考えているうちに、本当は引き受けたくなかったことまで引き受けてしまう。


そして後になって、「どうして断れなかったのだろう」と疲れてしまうこともあります。


断るのが苦手だと感じるとき、頼まれたことそのものよりも、「断ったら相手がどう感じるだろう」ということが気になっているのかもしれません。


けれども、相手の気持ちを大切にすることと、相手の期待に応えることは、同じなのでしょうか。



断るのが苦手なとき、何を心配しているのでしょう


断ることが難しいとき、私たちは「できるか、できないか」だけで判断しているわけではありません。


「がっかりするだろうな」

「私しか頼れる人がいないのかもしれない」

「一度くらいならいいかな」


と、相手の事情や気持ちまで考えていることがあります。


相手の立場を想像できることは、人を思いやる力でもあります。


特に、相手の気持ちを察することや、周囲との調和を大切にしてきた人ほど、自分がどうしたいかよりも先に、「相手はどう感じるだろう」と考えることがあるかもしれません。


私自身も、以前は相手が困っていると、


「かわいそうだから」

「私ができることなら、やってあげた方がいい」


と考えることがよくありました。


けれども最近、以前の私だったら違う判断をしていたかもしれない、と思う出来事がありました。



「友達だと思っていたのに」と言われて


私はカウンセラーとは別に、ケアラーとしても仕事をしています。


あるとき、ケアで伺っている方から、会社のルールで認められていないことをしてほしいと頼まれました。


実は以前、一度だけそのお願いを聞いたことがありました。


けれども改めて考えると、会社から禁止されていることを続けることはできません。


もし何かが起きれば、私自身が責任を負うだけではなく、会社にも迷惑をかける可能性があります。


そのため、今回はできないと伝えました。


すると、その方から、


「あなたのことを友達だと思っていたのに」


と言われました。


以前の私だったら、この言葉に気持ちが揺らいでいたかもしれません。


「頼れる人もあまりいないのだから、やってあげた方がいいのかな」

「一度やってあげたのだから、今さら断るのはかわいそうかな」


そんなふうに考えて、自分の判断を変えていたかもしれません。


けれども今回は、


「友達だよ。でも私はあなたのケアラーでもある。私はケアラーの仕事を失うわけにはいかない」


と伝えました。


友達として相手を大切に思う気持ちと、ケアラーとして守らなければならない責任。


どちらか一方を否定する必要はありませんでした。


相手との関係を大切にすることと、「できないことはできない」と伝えることは、両立できるのだと感じた出来事でした。



私にも「友達なのに、どうして?」と思ったことがあった


今回の出来事について考えているうちに、以前の自分にも、似たような経験があったことを思い出しました。


そのときの私は、今回とは反対に、助けを求める側でした。


私がとても困っていたとき、友人に電話をして助けを求めたことがあります。


けれども、その友人から「できない」と断られました。


そのときの私は、


「友達なのに、どうして?」


と思いました。


普段とは違う状況で、本当に困っているのだから、こんなときくらい少し私の身になってくれてもいいのではないか、とも思いました。


けれども、今振り返ってみると、少し違う見方ができます。


あのとき友人は、私を大切に思っていなかったから断ったのではなく、「ここまではできるけれど、ここから先はできない」という自分のバウンダリーを守っていたのかもしれません。


そして今なら、今回ケアをしている方が「友達だと思っていたのに」と言った気持ちも、少し分かるような気がします。


人は本当に困っているとき、自分のことで精一杯になり、相手にも相手の事情や限界があることまで考える余裕がなくなることがあります。


だから、「友達なのに」と思うこと自体が悪いわけではないのだと思います。


ただ、相手がそう感じることと、こちらがその期待に応えなければならないことは別です。



相手ががっかりすることと、自分が悪いことをしたことは同じではない


誰かのお願いを断れば、相手ががっかりすることはあります。


「どうして?」と思われることもあるでしょう。


ときには、不満を言われたり、関係が変わってしまうのではないかと不安になったりすることもあります。


そうした反応を目の前にすると、


「やっぱり断らない方がよかったのかな」


と、自分の判断に自信がなくなることがあります。


けれども、


相手ががっかりしたことと、自分が間違ったことをしたことは同じではありません。


相手には、助けてほしいと願う気持ちがあります。


そしてこちらにも、自分の事情や限界があります。


相手の気持ちを無視する必要はありません。


「困っているんだな」

「助けてほしかったんだろうな」


と理解することはできます。


けれども、


相手の気持ちを受け止めることと、その気持ちに従うことは別のことです。


私たちは、あるときは断る側になり、あるときは断られる側になります。


だからこそ、バウンダリーは、どちらかが勝つための線ではないのだと思います。


お互いがそれぞれの事情や限界を持ちながら、人と関わっていくために必要なものなのではないでしょうか。



「私ならこれくらいできる」が、相手にも同じとは限らない


バウンダリーについて考えるとき、もう一つ大切なのは、人によって「できること」と「できないこと」の境界は違うということです。


自分にとっては、それほど大変ではないことかもしれません。


「私だったらこれくらいするのに」

「これくらいなら、できるのでは?」


と思うこともあるでしょう。


けれども、自分にとっての「これくらい」が、相手にとっても同じとは限りません。


人にはそれぞれ、生活があります。

仕事や家族への責任もあります。

体力や心の余裕、置かれている状況、大切にしていることも違います。


だから、自分にとってはまだ限界ではないところが、相手にとっては「ここから先はできない」という境界であることもあります。


以前、友人に助けを断られたときの私は、


「こんなに困っているのだから、これくらいしてくれてもいいのでは」


と思いました。


でも、私にとっての「これくらい」は、友人にとっての「これくらい」ではなかったのかもしれません。


そして今回も同じです。


ケアをしている方にとっては、「これくらいやってくれても」と思えることだったのかもしれません。


けれども私にとっては、仕事上の責任を考えれば、越えることのできない線でした。


どちらが正しいかを決める必要はないのだと思います。


大切なのは、自分の限界を相手に押しつけないこと。そして、相手の限界を自分の基準だけで判断しないこと。


自分が「No」と言えることと同じように、相手の「No」も、その人が決めた境界として受け止めていく。


バウンダリーとは、自分を守るためだけのものではなく、自分と相手は違う人間であり、それぞれに違う「ここまで」があることを認めることでもあるのだと思います。



海外で暮らしていると、自分の判断を引っ込めてしまうことがある


海外で長く暮らしていると、日本で身につけてきた人との関わり方と、こちらで出会う人たちの自己主張の仕方との違いを感じることがあります。


もちろん、「日本人はこう」「イギリス人はこう」と単純に分けられるものではありません。


それでも、日本では「相手の気持ちを考える」「周囲に迷惑をかけない」「空気を読む」といったことを大切にして育ってきた方も多いのではないでしょうか。


一方で、イギリスでは、自分が何を望んでいるのか、何をしたくないのかを比較的はっきり伝える人にもよく出会います。


どちらが良くて、どちらが悪いということではありません。


相手の気持ちを考えられることも、自分の希望を言葉にできることも、人と関わっていくうえで大切な力です。


ただ、自分の希望をはっきりと伝える人を前にすると、


「そこまで言うのなら、私が折れた方がいいのかな」


と感じることもあるかもしれません。


けれども、相手が自分の希望をはっきり伝えているからといって、その希望を受け入れなければならないわけではありません。


相手には「こうしてほしい」と伝える自由があり、自分にも「それはできない」と伝える自由があります。


大切なのは、どちらかの気持ちを優先することではなく、相手の気持ちを尊重するのと同じように、自分の気持ちや判断も尊重することなのだと思います。


相手の主張を尊重することと、自分の考えを手放すことは、同じではないのです。


相手の気持ちを大切にするという、自分がこれまで持ってきたものを手放す必要もありません。



バウンダリーは、人を遠ざけるためのものではない


バウンダリーという言葉を聞くと、「線を引く」「距離を取る」といった、少し冷たいイメージを持つ方もいるかもしれません。


けれども、バウンダリーは人を遠ざけるためだけのものではありません。


「ここまでは私ができること」

「ここから先は私が引き受けることではない」


と、自分の責任の範囲を知ることでもあります。


今回、私はその方に「友達ではない」と言ったわけではありません。


友達として大切に思っていることと、ケアラーとして守らなければならないルールがあることは、両方とも本当でした。


人間関係でも同じです。


相手を大切に思っていても、できないことはあります。

家族だからといって、すべての要求に応える必要はありません。

友達だからといって、いつでも助けられるとは限りません。


誰かを大切に思うことと、自分の限界を守ることは、どちらか一つを選ばなければならないものではないのです。



優しさの中に、自分自身も含める


以前の私は、相手が困っていると、その人の事情を考えることに多くの意識を向けていたように思います。


「かわいそうだから」

「頼れる人がいないから」

「私が少し我慢すればいいから」


そう考えることは、優しさでもあるのでしょう。


でもその優しさの中に自分に向ける優しさがなければ、いつか苦しくなってしまいます。


今回、私は相手の事情を理解できなくなったわけではありません。


以前より冷たい人になったとも思っていません。


ただ、


「相手が困っていること」と「私がそれを引き受けなければならないこと」


を分けて考えられるようになったのだと思います。


そして、以前友人から断られた経験を振り返ってみると、自分が「No」と言えるようになることだけがバウンダリーではないことにも気づきます。


相手の「No」も、その人の境界線として受け止めること。


自分には自分の「ここまで」があり、相手には相手の「ここまで」がある。


それぞれの境界が同じでなくてもいいのです。


もし誰かに何かを頼まれて、


「断ったら悪いかな」


と思ったときには、すぐに答えを出す前に、


「私は本当はどうしたいのだろう」

「これは本当に私が引き受けるべきことだろうか」

「相手ががっかりすることと、私が悪いことをすることを、同じにしていないだろうか」


と、自分に問いかけてみてもよいかもしれません。


そして反対に、誰かから「できない」と言われたときには、


「私にとっての『これくらい』と、この人にとっての『これくらい』は違うのかもしれない」


と考えてみる。


相手を思いやる力を手放す必要はありません。


ただ、その思いやりを自分自身にも向ける。


そして、自分の限界を大切にするのと同じように、相手の限界も大切にする。


それが、お互いを一人の人間として尊重しながら関係を築いていくということなのだと、私は思います。



🌿 自分の気持ちを後回しにしてしまうとき


人との関係の中で、いつも相手の気持ちを先に考えてしまう。

本当は嫌なのに断れない。

断った後も、「あれでよかったのかな」と何度も考えてしまう。


そんなことが続いているとしたら、「もっと上手に断れるようにならなければ」と考える前に、なぜ相手の気持ちをそこまで背負ってしまうのかを、ゆっくり見つめてみることもできます。


カウンセリングでは、悩みをきれいに整理してから話す必要はありません。


「こんなことで相談していいのかな」と思うことでも、「まだ自分でも何が気になっているのか、うまく説明できない」という状態でも構いません。


特に海外で生活していると、自分で考え、自分で何とかしなければならない場面も多くあります。その中で、知らないうちに自分の気持ちを後回しにすることに慣れてしまうこともあるかもしれません。


誰かの期待に応えるためではなく、自分がどう感じているのかをゆっくり言葉にしてみる。


「少しだけ誰かに話してみようかな」と思えたときに、Locus of Lifeをそんなプレッシャーのない時間として利用していただければと思います。


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