海外生活 ストレスの奥にあった怒り|理不尽な社会の中で自分を守るということ
- Locus of Life

- 6月26日
- 読了時間: 6分

今週は、珍しく何度も腹が立つことがありました。
私は普段、あまり怒りを表に出す方ではありません。
どちらかというと、「仕方がないか」と飲み込んだり、
「相手にも事情があるのだろう」と考えたりすることの方が多い気がします。
でもイギリスに長く住んでいると、日本だったら多くの人が不満に感じるようなことでも、「まあ、そんなものかな」と受け流せるようになってきました。
イギリス生活も20年以上になります。
たいていのことには驚かなくなりました。
でも、今回はさすがに三連続でした。
「まあ、そんなものかな」で済ませてきた私の堪忍袋も、とうとう限界を迎えました。
海外生活のストレスが重なった一週間
息子の歯科矯正の件では、何か月も待たされた末に、
病院と歯科医院の間で情報が共有されておらず、
レントゲン写真が歯科医院に届いていないことがわかりました。
結局、私が両者の間に立って確認することになりました。
誰も状況を把握しておらず、誰も責任を引き受けようとせず、
そして誰からも説明や謝罪がありませんでした。
そのことに、私は強い怒りを覚えました。
クレジットカード会社に依頼した書類も、何度確認しても送られてきませんでした。
最終的には、担当者がリクエストを正しく処理していなかったことがわかりました。
携帯電話会社とのやり取りでは、約束されていた対応が行われておらず、
結果として息子の携帯電話回線が突然停止されてしまいました。
もちろん、人間ですからミスはあります。
私自身も仕事で失敗したことがあります。
だから、腹が立っていたのは単なるミスそのものではありませんでした。
約束したことを確認しないこと。
責任を持たないこと。
相手を振り回しても平気な顔をしていること。
そして、そのような仕事の仕方が当たり前になっているように見えること。
それが許せなかったのです。
「こんなこと、日本ではありえない」
その時、何度も頭に浮かんだ言葉がありました。
「こんなこと、日本ではありえない。」
もちろん、日本にもミスはあります。
完璧な国などありません。
そして正直に言えば、イギリスは他の国と比べれば、
まだ恵まれている方なのかもしれません。
それでも、担当者同士で話が通っていなかったり、
約束したことが引き継がれていなかったり、
こちらが追いかけなければ何も進まなかったりすると、
20年以上イギリスで暮らしている私でも、ふとそんな言葉が頭をよぎることがあります。
気づけば、私はずっと何かを追いかけていた
数日経ってから、私は別のことにも気づきました。
海外生活のストレスは、大きな出来事だけで生まれるものではありません。
日々の小さな出来事が積み重なることで、気づかないうちに心や身体に
負担をかけていることもあります。
私は今週だけでなく、長い間ずっと何かを追いかけ続けてきたのかもしれない、と。
海外生活
子育て
学校との連絡
病院や役所とのやり取り
日々の様々な手続き
振り返ってみると、私はいつも何かを追いかけていました。
放っておけば止まってしまうから、自分が動くしかない。
気づけば、常に何かを確認し、何かを管理し、何かを追いかけている。
そんな生活が当たり前になっていました。
パートナーの言葉
私のパートナーはこう言いました。
「気持ちはわかるけど、そんなことにエネルギーを使うのはもったいないよ。」
その言葉にも一理あります。
怒ったところでレントゲンが早く届くわけではありません。
怒ったところで携帯電話が使えるようになるわけでもありません。
自分の心の平穏のためには、ある程度手放した方が楽なのかもしれません。
でも、私の中にはもう一つの声がありました。
「でも、このままで本当にいいの?」
「みんなが諦め続けたら、この社会はずっとこのままなのでは?」
という声です。
私が本当に考えていたこと
今回私が感じた怒りは、単に不便だったからではありません。
そこには、
約束したことは守るべきだ。
人を無駄に振り回してはいけない。
仕事には責任が伴うべきだ。
そんな価値観があったのだと思います。
だからこそ腹が立ったのです。
ただ、最近思うのです。
もしかすると私が本当に知りたいのは、
「どうしたら理不尽なことがなくなるのか」
ではなく、
「理不尽なことがある世界の中で、どうやって自分を守りながら生きていくのか」
なのかもしれない、と。
社会には無責任な人もいます。
誠実な人が必ず報われるとも限りません。
理不尽な出来事も起こります。
それは残念ながら、これからもなくならないのでしょう。
そして正直に言えば、私は今でもそういうことに腹が立ちます。
「仕方がない」と割り切れるほど達観しているわけではありません。
むしろ、間違っていることには「それは違うでしょう」と思います。
約束したことは守ってほしい。
責任を持って仕事をしてほしい。
そう思う気持ちは、今も変わりません。
でも一方で、こんなことも思うのです。
私はいつまで、その怒りの中に住み続けるのだろう、と。
理不尽な人は、これからもいる。
不誠実な対応もなくならない。
もしそのたびに怒り続けていたら、傷つくのは結局自分です。
だから最近は、
「理不尽なことに声を上げること」と、
「理不尽なことに自分の人生を支配させないこと」
は別なのかもしれないと思うようになりました。
私はまだその答えを見つけたわけではありません。
間違っていることには声を上げたい。
それでも今は、
社会を変えようとすることよりも先に、
理不尽な世界の中で、自分の穏やかさや大切なエネルギーをどう守るのか。
そのことを考えています。
以前の私は、理不尽なことに腹を立てる自分を、
どこか未熟なのではないかと思っていました。
もっと大人になれば、
もっと達観できれば、
気にならなくなるのではないかと思っていたのです。
でも最近は少し違います。
怒りを感じること自体が問題なのではなく、
その怒りとどう付き合うかの方が大切なのかもしれないと思うようになりました。
理不尽なことに「それは違う」と思う気持ちは持ち続けたい。
でも、その怒りに自分の人生まで支配されたくはない。
その二つの間で、どうバランスを取っていくのか。
私は今も、その答えを探している途中です。
もしかすると、それは海外生活だけでなく、人生そのものの課題なのかもしれません。
🌿 あなたのための小さな一歩
海外生活の中では、言葉や文化の違いだけでなく、
思い通りに進まない手続きや、人との行き違い、
理不尽だと感じる出来事に出会うこともあります。
そんな時、私たちは問題そのものだけでなく、
それに対応し続けることにも疲れてしまいます。
怒りの奥にはどんな気持ちが隠れているのでしょう。
失望でしょうか。
悲しみでしょうか。
それとも、「もう少し安心したい」という気持ちでしょうか。
Locus of Lifeでは、海外で暮らす方の孤独感やストレス、人間関係、
自分らしさについて、安心してお話しいただける時間を提供しています。
社会の理不尽さをすぐに変えることはできないかもしれません。
でも、その中で自分らしさや穏やかさを守る方法を、
一緒に考えていくことはできるのではないでしょうか。
もし今、「少し疲れたな」と感じているなら、
一人で抱え続ける前に、お話ししてみませんか。
Locus of Lifeが、
そんな時にふと思い出せる「心の居場所」の一つになれたら嬉しく思います。





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