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「ちゃんとしている私」の奥にあったもの|海外生活の中で、本当の自分を見せられなかった頃

柔らかな光に包まれて咲く青い紫陽花。海外生活の中で自分らしさを見失いながらも、静かに心の居場所を探していた頃をイメージした風景。

海外で暮らしていると、「強くなったね」と言われることがあります。


たしかに、以前よりできることは増えました。


言葉の違い

文化の違い

仕事のプレッシャー

突然のトラブル

家族が近くにいない生活


そういうものを、一人で乗り越えられるようになった。


でも今振り返ると、私は本当に強くなっていたというより、

ただ、ずっと気を張っていただけだったのだと思います。



「きちんとしている人」でいること


日本にいた頃の私は、周りから見ると、きっと「きちんとしている人」だったと思います。


空気を読む

相手を不快にさせない

求められていることを察する

場の雰囲気を壊さない


自分の気持ちよりも、まず周囲を見る。


それは私にとって、特別なことではありませんでした。


日本の航空会社で働いていた頃は、その感覚はさらに自然なものになっていた気がします。


笑顔でいること

柔らかく接すること

安心感を与えること


そういう振る舞いは、仕事の一部でした。


気づけば私は仕事の時だけではなく、

日常の中でも「求められる自分」でいることに慣れていました。



海外生活の中で本当の自分を隠していた私


イギリスに来てから、その緊張はさらに強くなりました。


仕事中だけではありません。


ロンドン採用のヨーロッパ人の同僚たちと一緒にいる時も、

私はどこかでずっと気を張っていました。


変に思われたくない

空気を悪くしたくない

日本人として、失礼だと思われたくない


文化も、距離感も、冗談の言い方も違う中で、

私は無意識に、自分をその場に合わせようとしていたのだと思います。


私はいつの間にか

「自然にそこにいる」という感覚を失っていたのだと思います。



「そのままの自分」でいられない感覚


海外生活の孤独は、単に家族が近くにいない、ということだけではありませんでした。


もっと静かなところで、

「そのままの自分でいられる場所」がなくなっていく感覚があります。


弱さを見せたらどうなるのだろう

面倒だと思われたらどうしよう

重いと思われたらどうしよう


そう思うと、本当は寂しい時ほど、平気なふりをしてしまう。


本当は苦しい時ほど、「大丈夫」と言ってしまう。



結婚生活の中でも、自分を作っていた


それは、結婚生活の中でも同じでした。


元主人とは、結婚前に長い時間を一緒に過ごしていたわけではありませんでした。


だからイギリスに来てから、私は少しずつ、彼のことを知っていきました。


どんな時に不機嫌になるのか

何を嫌がるのか

どこまで言っていいのか


でも振り返ると私は彼を知ろうとしていたというより、

彼に好かれるために、自分を作っていたのだと思います。


嫌われたくなかった。


重いと思われたくなかった。


「一緒にいて疲れる人」にはなりたくなかった。



「帰れない」という感覚


そしてその奥には、「もう日本に簡単には戻れない」という感覚がありました。


自分で選んで来た場所だから。

周りにもそう伝えてきたから。

簡単に弱音を吐けなかったから。


だから私は、彼との関係を失うことが怖かった。


それは単に、パートナーを失う怖さではありませんでした。


自分の居場所がなくなるような感覚でした。



優しさと警戒の間で


だから私は、本当の自分を見せるよりも、「問題のない自分」でいようとしていました。


理解のある自分

我慢できる自分

重くない自分

一人でも平気そうな自分


でも、いつも相手に合わせていると、今度はその優しさや我慢を、

当然のように受け取る人もいます。


頼まれると断れない。

嫌だと思っても笑ってしまう。

境界線を越えられても、「私が我慢すればいい」と思ってしまう。


最初は、人に嫌われたくないという気持ちから始まったことでした。


でも気づくと私は、人に嫌われないように気を張るだけではなく、

「利用されないように」警戒することにも疲れていました。


優しくいたい。

でも傷つきたくない。


相手を大切にしたい。

でも自分も守りたい。


その二つの間で揺れながら、私は少しずつ疲れていったのです。


いつの間にか、

「相手を優先すること」と「自分を守ること」の境界が、

よく分からなくなっていました。



自分が何を感じているのか分からなくなる


合わせることに慣れすぎると、

自分が何を感じているのか、分からなくなる瞬間があります。


本当は寂しいのか

怒っているのか

悲しいのか

ただ安心したいだけなのか


その感覚さえ、少しずつ遠くなっていく。


私は長い間、「もっと頑張らなければ」と思っていました。


もっと強くならなければ

もっと理解のある人にならなければ

もっと上手にやらなければ


でも今思うのは、必要だったのは「もっと頑張ること」ではなく、

「もうそんなに自分を作らなくてもいい」と気づくことでした。


そのままの自分でいても大丈夫だと感じられることでした。


海外生活の中で本当の自分を守ることも、

誰かに合わせることと同じくらい大切だったのだと思います。



今なら、あの頃の自分に言えること


今の私は、あの頃の自分を責めたいとは思いません。


嫌われることが怖かったことも。

帰れないと思っていたことも。

好かれるために、自分を小さくしていたことも。


それは弱さではなく、あの時の私が、

自分の居場所を失わないために必死だったということなのだと思います。



「適応すること」と「自分を失うこと」


海外で生きること

異文化の中で働くこと

誰かと人生を築こうとすること


それは、時に私たちを成長させてくれます。


でもその一方で、

「適応すること」と「自分を失うこと」の境界が、見えなくなることがあります。


合わせることは悪いことではない。

理解しようとすることも、大切なことです。


でもそのために、自分の気持ちまで消し続けなくてもいい。


「ちゃんとしている自分」だけではなく、

うまく笑えない日も、弱い日も、安心できない日も含めて、

そのまま存在できる場所を求めてもいいのだと思います。


もしあなたも、「ちゃんとしていなければ」と頑張り続けてきたなら、

その奥にある疲れや孤独に、少しだけ目を向けてあげてもいいのかもしれません。



Locus of Lifeでは、

海外生活の中で「ちゃんとしていなければ」と頑張り続けてきた方へ向けて、

愛着や人間関係、自分らしさについて安心して話せる時間を提供しています。


うまく話そうとしなくても大丈夫です。


安心して弱音を吐ける場所として、ここでお待ちしています。







 
 
 

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