頑張りすぎる人はなぜ「まだ足りない」と感じる?|上昇志向が苦しさに変わるとき
- Locus of Life

- 8月28日
- 読了時間: 12分

目標を達成したのに、なぜかすぐに次の目標を探してしまう。
周りからは「十分頑張っている」と言われても、自分ではそう思えない。
少し休もうと思っても、「こんなことをしている場合ではない」と落ち着かなくなる。
頑張りすぎる人の中には、疲れていることには気づいていても、それでも立ち止まることが難しい人がいます。
「もう少し頑張れば」
「もっとできるはず」
「まだここで満足してはいけない」
そんな言葉が、いつも心のどこかにあるのです。
けれども、これは単に「頑張りすぎない方がいい」という話ではありません。
向上心や上昇志向は、その人が人生を切り開き、前へ進んでいくための大切な力です。
では、その力がいつから苦しさに変わっていくのでしょうか。
頑張りすぎる人は、なぜ「まだ足りない」と感じるのか
上昇志向が強い人は、目標を持ち、そこに向かって努力します。
資格を取る。
仕事で成果を出す。
より良い環境を目指す。
新しいことに挑戦する。
一つできるようになったら、次のことに挑戦する。
そうして少しずつ自分の世界を広げていきます。
けれども、あるところから、
「もっと成長したい」
という気持ちが、
「成長し続けていなければならない」
という感覚に変わることがあります。
この二つは似ているようで、少し違います。
「もっと成長したい」には、自分で選んで前に進んでいる感覚があります。
一方、「成長しなければ」には、止まることへの不安が含まれています。
前に進みたいから走っているのではなく、止まることが怖いから走り続けている。
もしそうなっているとしたら、頑張ることは少しずつ心を疲れさせていきます。
上昇志向は、自分を支えてきた大切な力|海外生活で頑張るということ
私は、上昇志向そのものを悪いものだとは思いません。
「もっと知りたい」
「できなかったことができるようになりたい」
「自分の可能性を広げたい」
「今より良い人生を作りたい」
そう思えることは、とても大切な力です。
そして、海外で生活を築いてきた方にとって、頑張ることは特別な意味を持つこともあります。
海外で暮らしていると、それまで当たり前にできていたことが、思うようにできなくなることがあります。
日本では問題なくできていた仕事でも、言葉が変われば、自分の考えを十分に伝えられない。
これまで積み重ねてきた経験や能力があっても、それを同じように評価してもらえるとは限りません。
新しい土地で仕事を探し、人間関係を作り、生活の仕組みを一から覚えていかなければならないこともあります。
そんな中で、
「もっと英語ができるようになろう」
「資格を取ろう」
「ここでも自分のキャリアを築こう」
「この環境でもやっていける自分になろう」
と努力することは、自分を前へ進ませる大きな力になります。
一つずつできることが増えることで、
「私はここでもやっていける」
という感覚を取り戻すこともできます。
だからこそ、海外で長く頑張ってきた人にとって、「頑張る」ということは、単に目標を達成するためだけのものではないのかもしれません。
頑張ることで、自分の能力や自分らしさを確かめてきた。
だから「もう少し力を抜いて」と言われても、それほど簡単ではありません。
頑張ることは、その人がこれまで海外で生活を築き、自分を支えてきた方法でもあるからです。
「もっと成長したい」が「成長しなければ」に変わるとき
問題になるのは、頑張ることそのものではありません。
頑張っていない自分を受け入れられなくなったときです。
目標を達成しても、満足が長く続かない
ずっと欲しかったものを手に入れた。
難しい資格を取った。
仕事で評価された。
目標としていたところまでたどり着いた。
本来なら、「よくここまで来た」と少し立ち止まってもよいところです。
ところが、喜びは長く続きません。
「次は何をしよう」
「もっと上に行けるはず」
「ここで満足したら成長が止まってしまう」
と、すぐに次の目標を探し始めます。
すると人生は、
目標を設定する → 頑張る → 達成する → 一瞬満足する → 次の目標を探す
という繰り返しになっていきます。
達成しているのに、なかなか「十分だ」という感覚が得られません。
休むことに罪悪感を感じる
頑張りすぎる人にとって、意外に難しいのが「何もしないこと」です。
休日なのに仕事のことを考える。
何も予定がないと、時間を無駄にしているように感じる。
体が疲れていても、「これくらいで休んではいけない」と思う。
誰かが頑張っている姿を見ると、自分も何かしなければと焦る。
休むことが必要なのは頭では分かっていても、心がそれを許してくれません。
それは、休むことを「回復」ではなく、「止まること」や「遅れること」として感じているからかもしれません。
人と比べることで自分の位置を確かめてしまう
上昇志向が強い人は、自分の現在地を確かめるために、周囲と自分を比べやすくなります。
同年代の人はどこまで進んでいるのか。
あの人はどんな仕事をしているのか。
どのくらい収入があるのか。
どんな家庭を築いているのか。
SNSを見れば、他人の成果は簡単に目に入ります。
すると、本当は自分なりに前へ進んでいるのに、
「私はまだまだだ」
という感覚が強くなることがあります。
比較すること自体が悪いわけではありません。
ただ、いつも他人との比較によって自分の価値を確認していると、ゴールは少しずつ遠ざかっていきます。
なぜなら、自分より先にいる人は、いつでも見つけられるからです。
頑張っても変えられないことに出会ったとき
努力を重ねれば、変えられることはたくさんあります。
けれども人生には、どれだけ頑張っても、自分の努力だけでは思うようにならないこともあります。
特に海外生活では、自分の努力だけでは変えられないことにも出会います。
どれだけ語学を勉強しても、文化の違いそのものをなくすことはできません。
どれだけ仕事を頑張っても、自分の経験や能力が母国と同じように評価されるとは限りません。
人間関係も、自分一人の努力だけで思い通りにすることはできません。
相手の考え。
人からの評価。
職場の環境。
タイミング。
文化や社会の仕組み。
誰かが自分をどう受け取るか。
自分ではコントロールできないものもあります。
それでも、これまで「頑張れば何とかできる」という方法で多くのことを乗り越えてきた人ほど、
「まだ何かできるはず」
「もっと頑張れば変えられるかもしれない」
「まだ私の努力が足りないのではないか」
と、自分をさらに追い込んでしまうのです。
けれども、結果が思うようにならないことと、自分の努力が足りなかったことは、必ずしも同じではありません。
自分にできることを十分にやっても、変えられないことはあります。
そこでさらに自分を追い立てるのではなく、
「これは私が努力することで変えられることなのだろうか」
と、一度立ち止まってみる。
自分にできることと、自分には変えられないことを分けて考えることは、諦めることとは違います。
むしろ、自分の力をどこに使うのかを選ぶことなのだと思います。
人からの評価と、自分自身からの評価
頑張り続ける心の奥には、
「認められたい」
「失敗したくない」
「人に負けたくない」
「誰かをがっかりさせたくない」
「何者かになりたい」
「自分には価値があると思いたい」
そんな気持ちが隠れていることがあります。
人から認められることは、誰にとっても嬉しいものです。
自分の努力を誰かが見てくれていたり、「よく頑張ったね」と言ってもらえたりすることで、報われたように感じることもあります。
けれども、他人から認められることだけが、自分の価値を確認する方法になってしまうと、私たちはいつまでも外からの評価を追い続けることになります。
そして、人からジャッジされることがとても気になるときには、外からの評価だけではなく、自分自身が自分を厳しく評価していないかを見つめてみることも大切です。
「もっとできたはず」
「これくらいで満足してはいけない」
「結果を出せない自分ではだめだ」
そんな言葉を、誰かではなく、自分自身が自分に向けていることもあります。
もし、自分自身からなかなか「これで十分」と認めてもらえないとしたら、外からの評価がとても大きな意味を持つのも不思議ではありません。
だから、ときには、
「人からどう見られているか」ではなく、「私は自分のことをどう見ているだろう」
と問いかけてみる。
結果だけを見るのではなく、
「私はここまで何をしてきただろう」
「どれだけ努力してきただろう」
「思うような結果にならなくても、自分にできることはやったのではないだろうか」
と、自分が歩いてきた道にも目を向けてみる。
もしかすると、次の成功を追いかける前に必要なのは、自分自身からの
「ここまで、よく頑張ってきた」
という言葉なのかもしれません。
自分への厳しさは、他人を見る目にも表れることがある
自分に厳しい人は、ときに他人にも同じような厳しさを向けることがあります。
「もっと頑張らなければ」
「怠けてはいけない」
「これくらいできて当然」
そんな基準を自分に課していると、それがいつの間にか、自分だけではなく、人を見るときの基準にもなっていくことがあります。
私自身にも、そんな時期がありました。
自分に対して「もっと頑張らなければ」と思っていた頃は、周りの人を見て、
「どうしてもっと頑張らないのだろう」
「私だったらもっとやるのに」
と、否定的に感じることがありました。
自分がこれだけ頑張っているのだから、他の人も同じように頑張るものだという基準を、知らないうちに持っていたのだと思います。
けれども、自分自身に対して少しずつ「これでいい」と思えるようになってから、人を見る目も変わっていきました。
誰かが自分と同じように頑張っていなくても、その人にはその人の考え方や生き方がある。
私が大切にしていることを、その人も同じように大切にする必要はない。
そんなふうに、「他人は他人」と考えられるようになりました。
自分を受け入れるということは、自分に甘くなることではありません。
自分の価値を、成果や頑張りだけで判断しなくなることでもあります。
そして、自分自身をそのように見られるようになると、他人に対しても、
「もっとこうするべき」
「なぜできないのだろう」
という基準を少しずつ手放せることがあります。
自分への厳しさを緩めることは、他人を受け入れる余白をつくることにもつながるのだと思います。
立ち止まることは、向上心を手放すことではない
では、頑張ることをやめなければならないのでしょうか。
私は、そうではないと思います。
上昇志向をなくす必要もありません。
目標を持つことも、新しいことに挑戦することも、自分を成長させたいと思うことも、その人らしさの一部です。
大切なのは、
「私は本当にこれを望んでいるのか」
と、ときどき自分に聞いてみることなのだと思います。
私はこれをやりたいのか。
それとも、やらなければ不安だからやっているのか。
この目標を達成したら、私は何を感じたいのか。
誰かに認められたいのか。
自分自身に「これでいい」と思いたいのか。
そしてもう一つ、
「私はすでに十分頑張っているのではないか」
と問いかけてみることも大切です。
すぐに答えが出なくても構いません。
こうした問いを持つことそのものが、自分の心を知る入り口になります。
「もっと上へ」から「私はどう生きたいのか」へ
人生のある時期には、「何を達成するか」が大きな原動力になります。
けれども、人生のどこかで、
「何を達成するか」から「私はどう生きたいのか」へ
問いが変わっていくことがあります。
もっと上へ行くこと。
もっと成功すること。
もっと認められること。
それだけではなく、
どんな毎日を送りたいのか。
誰と時間を過ごしたいのか。
何をしているときに心が穏やかなのか。
自分にとって本当に大切なものは何なのか。
そうしたことも、人生を形作っています。
前へ進むことと、立ち止まることは、反対ではありません。
立ち止まったからこそ、
「私はどこへ向かいたかったのだろう」
と気づくこともあります。
これまで頑張ることで人生を切り開いてきたのなら、その力を否定する必要はありません。
ただ、ときには次の目標へ向かう前に、これまで自分が歩いてきた道を振り返ってみる。
「まだ足りない」ではなく、
「ここまでよくやってきた」
と、自分が積み重ねてきたものを一度受け取ってみる。
そして、何かを達成するためではなく、自分が心地よいと感じることや、本当に大切にしたい時間にも目を向けてみる。
それは、向上心を失うことではありません。
頑張ることで自分を支える生き方に、自分自身を認め、自分をいたわるという支え方も加えていくことなのだと思います。
🌿 頑張ることをやめなくても、自分の心を見つめることはできます
「こんなことで相談していいのかな」
「別に大きな問題があるわけではない」
そう感じる方もいるかもしれません。
特に、これまで自分で考え、自分で乗り越えることに慣れてきた人にとって、誰かに自分のことを話すのは少し不思議な感覚かもしれません。
けれども、カウンセリングは、頑張ることをやめるための場所ではありません。
「なぜ私は、こんなに頑張り続けるのだろう」
「私は何を認めてほしいのだろう」
「自分自身のことを、私はどんなふうに見ているのだろう」
そんなことを、誰かに評価されることなく、ゆっくり考える時間にもなります。
まだ自分の気持ちが整理できていなくても、うまく言葉にできなくても構いません。
海外生活では、自分で考え、自分で何とかしなければならない場面も多くあります。そうして長く頑張ってきた方ほど、自分のために立ち止まり、誰かに話す時間を持つことに慣れていないこともあります。
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