思春期の子どもとの接し方がわからないとき|心配するほど口を出してしまう親の気持ち
更新日:9月18日

思春期の子どもとの接し方がわからないとき|心配するほど口を出してしまう親の気持ち
子どもが思春期になると、それまでとは違う難しさを感じることがあります。
以前なら話してくれたことを話さなくなったり、こちらが心配して聞いても、
「別に」
「わからない」
「何でもない」
という言葉しか返ってこなかったり。
「何かあったのではないか」
「このままで大丈夫なのだろうか」
心配だからこそ理由を知りたいし、できることがあるなら何とかしてあげたい。
けれども、何かを言えば言うほど、子どもが離れていくように感じることもあります。
このように思春期の子どもとの接し方がわからず、
「何を言えばいいのだろう」
「どこまで口を出していいのだろう」
と迷っている親御さんが多いのではないでしょうか。
私自身、息子が学校へ行けなくなった時期に、同じような戸惑いを経験しました。
今回は、その頃の息子とのやり取りを振り返りながら、子どもを心配するほど何かをしてあげたくなる親の気持ちと、「見守る」ということについて考えてみたいと思います。
理由を知りたいのに、「わからない」「別に」「何でもない」
息子が突然、学校へ行けなくなりました。
それまでの私は、息子が学校へ行けなくなるほど苦しんでいることに気づいていませんでした。
だから、最初は何が起きているのか全く分かりませんでした。
学校で何かあったのだろうか。
友達との間に何かあったのだろうか。
それとも、私と元夫との離婚が影響しているのだろうか。
私がちゃんと母親をできていなかったからなのだろうか。
理由が分からないと、いろいろなことを考えます。
そして考えれば考えるほど、不安になりました。
私は何時間も息子と向き合って話をしました。
何があったのか。
何がつらいのか。
どうして学校へ行けないのか。
とにかく何か理由を知りたかったのだと思います。
学校にも相談し、息子の様子について話をしていました。
それでも、なぜ息子が学校へ行けなくなるほど苦しくなっていたのか、私には分かりませんでした。
理由が分かれば、何をすればいいのかが見えてくるかもしれない。
息子のために、何かできることが見つかるかもしれない。
けれども、息子から返ってくる言葉は、
「わからない」
「別に」
「何でもない」
ほとんどこの三つでした。
私は理由を知りたい。
でも息子は「わからない」と言う。
親としては、そこでさらに聞きたくなります。
「何もないわけないでしょう」
「何かあったから学校に行けないんじゃないの?」
けれども、そうやって聞けば聞くほど、息子は話してくれなくなりました。
そこで私は、息子から何かを聞き出そうとすることを一度やめました。
もちろん、簡単にできたわけではありません。
何が起きているのか分からないまま待つことは、私にとってとても不安なことでした。
それでも聞きたい気持ちを我慢して、まずは何気ない会話をするところから始めました。
答えを聞き出すのではなく、一緒に言葉を探していく
何気ない会話を続けているうちに、息子も少しずつ話をするようになりました。
それでも、息子の気持ちについて聞くと、
「わからない」
と返ってくることがありました。
そんなとき私は、
「悲しかった?」
「悔しかった?」
「それとも、自分が悪いと思った?」
というように、いくつかの選択肢を出してみるようにしました。
その中に息子の気持ちに近いものがあれば、そこから、
「じゃあ、どうしてそういうふうに思ったのかな」
と、少しずつ話をしていきました。
今振り返ると、私がしていたのは、息子から正しい答えを聞き出すことではなく、まだ本人にもよく分からない気持ちを、一緒に言葉にしていこうとすることだったのだと思います。
今振り返ると、私がしていたのは、息子から正しい答えを聞き出すことではなく、まだ本人にもよく分からない気持ちを、一緒に言葉にしていこうとすることだったのだと思います。
そして、「わからない」と言われたときに、すぐに答えを求めないことも必要でした。
私にとって大切だったのは、息子の気持ちをすべて理解することよりも、話したくなったときに話せる関係を保っておくことだったのだと思います。
「そうだね」と聞くことが、私には一番難しかった
けれども、息子が少しずつ話してくれるようになれば、それで簡単になったわけではありませんでした。
私にとって一番難しかったのは、息子の話を否定せずに聞くことでした。
息子の話を聞いていると、
「でも、それは違うんじゃない?」
「そんなふうに考えなくてもいいんじゃない?」
「こうした方がいいんじゃない?」
と言いたくなります。
私はもちろん息子より長く生きているので、それなりに経験もあります。
そして何より、自分の子どもが苦しんでいれば、その苦しさから早く抜け出してほしいと思います。
だから、
考え方を変えてあげたくなる。
解決する方法を教えたくなる。
学校に行けなくなる前の私は、息子をできるだけ一人の大人として扱おうとしていました。
体も大きくなり、話すことも大人びてきました。そして息子自身も、子ども扱いされることを嫌がるようになっていました。
だから私も、大人と話すように息子と話そうとしていたのです。
ところが、話をしていると、
「どうしてそういう考え方になるの?」
「何でそんなこともわからないの?」
と、思わずカチン!とくることがありました。
「もうこれくらい分かる年齢でしょう」
「こう考えればいいじゃない」
そんな思いが出てきます。
今振り返ると、息子が大人びてきたことで、私は「もうこれくらいのことは分かるだろう」と勝手に思っていたのだと思います。
けれども、息子が学校へ行けなくなり、何時間も話をする中で、それまで私には見えていなかった息子の一面に気づくようになりました。
自分で考えたい。
自分で決めたい。
子ども扱いされたくない。
その一方で、自分の中で起きていることを、まだうまく言葉にできないこともある。
「どうして?」と聞かれても、自分でもどうしてなのか分からないこともある。
そして、私には簡単に思えることでも、息子にとっては簡単ではない。
私が「こうすればいい」と考えることと、息子がそのとき感じていることは、別物なのだと少しずつ気が付いてきました。
そこで、息子の話を聞きながら「それは違うでしょう」と言いたくなっても、できるだけすぐに自分の考えを返さず、
「そうだね」
「そう感じたんだね」
と、まずは聞くように努めました。
もちろん、いつもできていたわけではありません。
むしろ、これが私には一番難しかったように思います。
ここでいう「そうだね」は、「あなたの考えが正しい」という意味ではありません。
私には違って見えていたとしても、
「息子には、そう感じられているんだ」
ということを、まず受け取る。
それから必要であれば、一緒に考える。
以前の私は、息子の話を聞くと、すぐに「じゃあ、こうしたら?」と答えを渡そうとしていました。
でも息子とのやり取りを重ねるうちに、息子は親である私からの答えを求めているのではなく、自分で考え、自分なりの答えを見つけようとしているのだと気がつきました。
そんなとき私にできるのは、すぐに答えを出すことではなく、隣で話を聞くこと。
そして、息子が必要としたときに、気軽に私に意見を聞ける存在でいることなのだと思うようになりました。
何も言わないことではなく、すぐに自分の答えを渡さず、子ども自身が考える余地を残しておく。
それも、思春期の子どもを見守ることの一つなのかもしれません。
心配するほど、何かをしてあげたくなる
それでも、子どもが苦しんでいると、親は何かをしたくなります。
私もそうでした。
息子が学校へ行けない。
何がつらいのかも分からない。
この先どうなるのかも分からない。
そんな状態で、何も分からないまま待つことは、私にとってとても苦しいことでした。
「学校に戻れるのだろうか」
「このままで将来困らないだろうか」
先のことまで考えれば考えるほど、「何とかしなくては」という気持ちは強くなります。
でも今振り返ると、その中には、息子を助けたいという気持ちだけではなく、私自身の不安もあったのだと思います。
息子が大丈夫だと思えれば、私も安心できる。
そして、「自分の育て方が悪かったのではないか」という不安からも、少し逃れられる。
私の場合は、息子に何かを言いたくなったとき、
「これは今、本当に息子に必要な言葉なのだろうか」
「それとも、私が安心したくて言おうとしているのだろうか」
と、自分自身に問いかけることも必要だったのだと思います。
「見守る」は、何もしないことではなかった
私は今でも、「見守る」ということがあまり得意ではありません。
問題があれば解決策を探したくなる。
困っているなら、何かしてあげたくなる。
それが親の役割だと思っているところが、まだ私の中にあるからです。
けれども、息子とのやり取りを通して、すぐに答えを出そうとせずに見守ることも、親にできることの一つなのだと気がつきました。
そして、見守ることは、子どもにすべてを任せることでもありません。
必要であれば学校や専門家に相談する。子どもの安全や健康に関わることには、大人として対応する。
その一方で、子ども自身が感じ、考え、自分の言葉を見つけていく部分まで、親が代わりに答えを出さない。
どこまで手を差し伸べ、どこから待つのか。
その境目をどこに置けばいいのか、私もまだ模索している最中です。
思春期の子どもとの接し方に、一つの正解があるわけではない
子どもが小さかった頃は、親が決めることがたくさんありました。
危ないことから守る。
困っていれば助ける。
分からないことがあれば教える。
けれども、思春期になると、それまで親がしていたことの一部を、少しずつ本人に返していくようになります。
子ども自身が変わっていく中で、親もそれまでと同じ関わり方を続けるのではなく、その子に合わせて関係を作り直していく必要があるのだと思います。
そして、息子を育てながら私が実感していることがあります。
親が子どもに教えることはたくさんありますが、親もまた、子どもとの関わりの中でたくさんのことを学びます。
私自身も、息子とのやり取りの中で、「あのときは違う言い方ができたかもしれない」と振り返ることがあります。
そうやって迷ったり、気づいたりしながら、私も息子を育てる中で、親として、そして一人の人として、今も学び続けています。
思春期の子どもと関わっていると、接し方に迷うだけではなく、「この子は本当は何を感じているのだろう」と分からなくなることもあります。
私自身、息子の話を聞いていたつもりでも、後になって初めて気づいたことがありました。
🌿子どものことを考え続けて、自分自身も苦しくなっているとき
子どものことが心配になると、
「私の接し方が悪かったのだろうか」
「もっと何かできるのではないか」
「このまま見守っていて本当に大丈夫なのだろうか」
と、親自身の気持ちも揺れます。
何かしても不安。
何もしなくても不安。
そして子どものことを考え続けるうちに、子どもの問題と、自分自身の不安や苦しさが一緒になってしまいがちです。
そんなとき、すぐに「正しい接し方」を探すのではなく、
「私は今、何をこんなに心配しているのだろう」
「何が起こることを怖いと感じているのだろう」
と、自分自身の気持ちにも目を向けてみることが、役に立つこともあります。
カウンセリングは、正しい子育ての方法を教えてもらう場所ではありません。
子どものことを心配する中で生まれた不安や迷い、時には苛立ちや罪悪感も、まだ整理できていないままお話ししていただけます。
もし「自分の気持ちも少し誰かに話してみたい」と思ったときには、Locus of Lifeをそのための場所として利用していただけたらと思います。
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