思春期の子どもの気持ちがわからないとき|『別に』の奥にあるもの

今回は、最近、現在16歳の息子とのやり取りを通して、私自身が親として気づいたことについて書いてみたいと思います。
子どもの話を聞いているつもりでも、本当の気持ちまでは分かっていないことがある。
そして、たとえそのとき理解できなくても、子どもとの会話を続けていくことには意味がある。
そんなことを、息子から教えられました。
「マミー、今の学校では僕の髪の毛のこと言う人はいないんだよ」
学校が変わってしばらくした頃、息子が何気なくそんなことを言いました。
息子は髪を長く伸ばしています。
その一言を聞いたとき、私は初めて、以前の学校で息子が経験していたことを、これまでとは違う角度から考えることになりました。
思春期の子どもの気持ちがわからない、と感じることは、親にとってとても苦しいことがあります。
何かあったのか聞いても、「別に」「何でもない」と言う。
本人なりに話してくれていても、それが何を意味しているのか、親には分からない。
私自身も、息子の様子が変わっていく中で、何度も「何が起きているのだろう」と考え続けていました。
「いじめられていない」という言葉を、私は信じていました
息子は一年半ほど前、突然学校へ行けなくなりました。
それまで私は、息子がそこまで心の調子を崩しているとは気づいていませんでした。
学校とも連絡を取り、息子ともできるだけ話をしようとしました。
その中で息子から、半年ほど前にクラスの子どもたちに身体を触られたことがあったと聞きました。
ただ、本人はその場で強く言い返し、「二度とするな」と伝えたため、それ以来、自分にはされなくなったと言っていました。
私が「いじめられているの?」と聞くと、
「いじめられていない」
と答えました。
私は、その言葉を信じました。
一方で、息子は別のことも話していました。
クラスがうるさすぎて授業に集中できない。
食堂が騒がしくて入っていけない。
友達ともあまり話さなくなり、一人でいたい。
休み時間には音楽教室へ行き、一人で過ごすことが増えていました。
あるとき、その音楽教室が工事のため数日使えなくなると分かった途端、息子は大泣きしました。
私はその様子を見ながら、
「どうして、音楽教室に入れないだけで、そこまで泣くのだろう」
と戸惑いました。
授業中に突然涙が出て、学校から連絡が来たこともありました。
けれども本人に聞くと、
「どうして涙が出たのか、自分でも分からない」
と言いました。
子ども自身が、自分の苦しさを理解していないこともある
親としては、どうしても理由を知りたくなります。
何があったのか。
何がつらいのか。
どうすれば元に戻れるのか。
けれども、人はいつも自分の気持ちをきれいに説明できるわけではありません。
それは大人でも同じです。
「なぜこんなに疲れているのか分からない」
「なぜ涙が出るのか分からない」
「何となくそこに行きたくない」
そんなことは、大人にもあります。
まして思春期は、自分の内側で起きていることをまだ言葉にしにくい時期でもあります。
「いじめられている?」と聞かれても、本人がその出来事を「いじめ」と認識していなければ、「いじめられていない」と答えることもあるでしょう。
嘘をついているわけではありません。
その子自身にとって、それがまだ「助けを求めるほどの問題」として整理されていないこともあるのだと思います。
また、息子の場合は、「いじめられている」と認めることに抵抗があったのかもしれません。
自分がいじめられていると認めてしまったら、自分が弱い人になったように感じる。
だから「いじめられている」とは言いたくなかったのかもしれません。
もちろん、これは今になって私が考えていることで、本当のところは息子にしか分かりません。
後になって息子から、以前の学校では髪が長いことについて、
「女の子みたいだ」
と、ほとんど毎日のように言われていたことを聞きました。
私が、
「それはいじめだよ。どうして言わなかったの?」
と尋ねると、息子は、
「そう言われても僕は気にしていなかったから、いじめだとは思わなかった」
と言いました。
けれども今振り返ると、本当に何の影響も受けていなかったのだろうかと思います。
もちろん、息子が学校へ行けなくなったことや、当時の心の不調が、髪について言われていたことだけによるものだったとは言えません。
ただ、毎日のように自分の外見について何かを言われる環境にいることが、本人が「気にしていない」と思っていたとしても、本当に何の負担にもなっていなかったのか。
それは、今でも私には分かりません。
そして、このことからも、本人が自分の受けている影響を、そのときすべて理解しているとは限らないのだと感じました。
思春期の子どもの気持ちがわからないとき、行動が言葉より先に現れることもある
振り返ると、息子はいろいろなことを伝えていました。
騒音がつらい。
食堂に入れない。
一人でいたい。
音楽室にいると落ち着く。
その場所がなくなると、とても不安になる。
突然涙が出る。
けれども当時の私は、それらを一つにつながったものとして見ることができませんでした。
耳が敏感なのではないかと思い、病院にも連れて行きました。
聴覚に問題がないと分かると、
「他の子どもたちは同じ環境で過ごしているのに、どうして息子だけが耐えられないのだろう」
と考えるようになりました。
そしてそのうち、
「息子は、我慢する力が足りないのではないか」
「息子は甘えているだけなのではないか」
「息子が弱いのではないか」
とさえ思うようになっていました。
理由が分からない状態は、とても落ち着かないものです。
人は、分からないことに直面すると、何とか理由を見つけようとします。
「息子の性格だから」
「息子が甘えているから」
「息子が弱いから」
私も、そうやって息子の変化を理解しようとしていました。
けれども、今振り返れば、そのどれもが息子の苦しさそのものに目を向けた説明ではありませんでした。
「なぜ息子だけが耐えられないのだろう」と考えるうちに、私はいつの間にか、息子が感じているつらさよりも、息子の側に何か問題があるのではないかと考えるようになっていたのです。
環境が変わって、初めて見えたこと
その後、進学を機に、息子の学校生活の環境が変わりました。
すると、少しずつ表情が明るくなり、以前より元気になっていきました。
もちろん、それだけで以前の学校が息子の心の不調の原因だったと断定することはできません。
心の状態には、さまざまな要因が重なることがあります。
ただ、新しい環境で息子の様子が変わったことは、私にとって大きな気づきになりました。
そして、ある日ぽろっと出てきたのが、
「今の学校では、僕の髪の毛のこと言う人はいないんだよ」
という言葉でした。
その言葉をきっかけに、私は初めて、以前の学校で息子が髪のことでほとんど毎日のように何か言われていたことを知りました。
それでも息子は髪を切らず、自分の好きなスタイルを変えませんでした。
その時、私は初めて、周囲から何を言われても自分の好きな髪型を変えなかった息子の強さと、ある意味での強情さに気づきました。
そして私は、
「あなたはとても強い子だね。マミーはあなたのことをとても誇りに思うよ。あなたがいじめられていたことに気づけなくて、本当にごめんね。でも、あなたもマミーに言ってくれなくちゃ分からないよね」
と伝えました。
「信じる」と「理解する」は、同じではないのかもしれません
私は、自分が気づけなかったことを素直に謝れば、息子も私のことを許してくれて、少し心を開いてくれるのではないかと、どこかで期待していました。
しかし、息子から返ってきたのは、私が予想していたものとは違う言葉でした。
「いいよ、別に。でも、マミーは僕が話したとき、僕のことを信じてくれなかった」
私はショックでした。
息子が学校へ行けなくなってから、私は何が起きているのかを知ろうとして、学校と連絡を取り、病院にも連れて行き、できるだけ息子の話を聞こうとしていました。
私は一生懸命、息子を理解しようとしていたつもりでした。
それなのに、息子からは「マミーは僕を信じてくれなかった」と見えていた。
最初は、どうしてそう思うのだろうと戸惑い、悲しくなりました。
でも振り返ってみると、息子の言う通りだったのかもしれません。
息子が、
「教室がうるさくて耐えられない」
「食堂がうるさすぎて入れない」
と言ったとき、私の中には、
「でも、他の子どもたちは同じ場所で過ごせているのに、どうして?」
という疑問がありました。
息子が、
「一人でいたい」
「他の人と話したくない」
と言ったときにも、
「今、一人でいたいのなら一人でいてもいい。でも、人は一人では生きていけないのだから、他の人とも話すようにした方がいいよ」
と私は言っていました。
私は息子の言葉を聞いていました。
でも、その言葉をそのまま受け止める前に、「なぜ?」「このままで大丈夫なのだろうか」という私自身の考えを重ねていたのだと思います。
息子からすれば、
「うるさくてつらい」
「今は人と話したくない」
と伝えているのに、そのつらさをそのまま信じてもらえなかったように感じたのかもしれません。
ここで私は、「話を聞くこと」と「相手の感じていることを信じること」は、必ずしも同じではないのだと気づきました。
そしてこれは、カウンセリングにも通じるものがあります。
誰かが感じていることに対して、
「でも、どうして?」
「普通は大丈夫なのに」
「こうした方がいいのでは?」
とすぐに理由や解決策を探すのではなく、まず、
「この人にとっては、本当にそう感じられているのだ」
というところから話を聞く。
相手の感じ方を、自分が完全に理解できなくてもいいのです。
理解できないことと、その人が感じていることを信じないことは、同じではありません。
私は今回、息子からそのことを教えられたように思います。
子どものことを完全に理解できなくても、会話は続けられる
もう一つ、今回の経験から私が大切だと感じたことがあります。
私は当時、息子の気持ちを十分に理解できていませんでした。
息子の話を聞きながら、その意味を取り違えていたこともありました。
それでも、私と息子の間には会話がありました。
思春期の子どもに、心の中で何が起きているのか詳しく聞いても、
「別に」
「分からない」
と返ってくることが多いでしょう。
息子自身、突然涙が出たときに、その理由を説明できませんでした。
だからこそ私は、子どもの心の中を何とか聞き出そうとすることよりも、普段の会話を途切れさせないことが大切なのではないかと思うようになりました。
学校のことだけではありません。
好きな音楽のこと。
今日あった小さな出来事。
何かを見て一緒に笑ったこと。
そんな何でもない日常の会話の中で、子どもがふと何かを話すことがあります。
息子の髪についての話も、私が問いかけて引き出したものではありませんでした。
普段の会話の中で、息子からぽろっと出てきた言葉でした。
私は当時、息子のすべてを理解できていたわけではありません。
それでも会話を続けていたからこそ、息子が話したくなったときに、その言葉を聞くことができたのだと思います。
子どもの心を完全に理解することは、親であっても難しいと思います。
すべてのサインにすぐ気づくこともできません。
言葉の意味を取り違えることもあります。
それでも、分からないから会話を諦めるのではなく、何でもない話をしながら関係をつないでおく。
そのことが、いつか子どもが何かを話したくなったときに、その言葉を受け取れる関係につながるのではないかと、今回の経験から私は感じています。
親にも、分からないことがあっていい
子どもの様子がおかしいと、
「親なのだから、子どものことを分かっていなければいけない」
と、多くの親は思うでしょう。
そして後から、それまで知らなかったことが分かると、
「どうして気づけなかったのだろう」
と自分を責めてしまいます。
けれども、子どもの心は、親の心の一部ではありません。
近くにいて、大切に思っていても、見えないことはあります。
もしかすると親にできるのは、すべてを正しく理解することではなく、
「今は分からない」
という状態にも耐えながら、その子との関係を切らずにいることなのかもしれません。
今日分からなかったことが、ずっと後の何気ない会話で少し見えてくることもあります。
一度理解できなかったからといって、そこで終わりではありません。
「あのときは分からなかった」
「そういうふうに感じていたんだね」
と、後から理解し直すこともできます。
親子のコミュニケーションとは、最初から正解を当てることではなく、そうやって何度も相手を知り直していくことなのかもしれません。
子どもの気持ちが分からないと、心配だからこそ、つい口を出したくなることもあります。
「どこまで見守り、どこから関わればいいのだろう」と迷う親の気持ちについては、こちらの記事で書いています。
🌿子どものことを考えながら、自分自身も苦しくなっているとき
子どものことを心配していると、
「私の育て方が悪かったのだろうか」
「もっと早く気づくべきだったのではないか」
「どう接すればいいのか分からない」
と、親自身も不安や迷いを抱えることがあります。
カウンセリングは、正しい子育ての方法を教えてもらう場所ではありません。
けれども、子どものことを考える中で感じている不安や罪悪感を、誰かに話しながら整理していくことはできます。
「どうして気づけなかったのだろう」
「あのとき、もっと違うことができたのではないか」
そんな、まだ答えの出ていない気持ちのままでも大丈夫です。
Locus of Lifeを、子どものことだけでなく、親として揺れているご自身の気持ちにも、ゆっくり目を向けられる時間として利用していただければと思います。
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